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2024年3月17日(日)

苗敷山・旭山(1037.3m)

 里山ハイキングのつもりで出かけたが、沿面距離が13㎞、所要時間が8時間近くに達してしまった。
しかし、苗敷山穂見神社の里宮から奥宮までの参道には江戸時代の石の鳥居、里程が刻まれた石標や奥宮の社殿、
それに廃寺の礎石、墓石、石仏などが次々と現れ、遺跡を訪ねる楽しい山旅になった。

登山記録

年月日 2024.03.17
天候
コース 北杜市大泉=県道12号=韮崎市県立北病院-穂見神社里宮-穂見神社奥宮-苗敷山-旭山 (往復)

 地形図:韮崎
メンバー 薮田、残間、青木
行動時間 所要時間:7:50 沿面距離:12.8km
感想、他

 『苗敷山穂見神社』は苗を敷いて稲穂を見る。稲作の神様と実感できる良い名前だ。
奥宮の由緒書によると、穂見神社は神亀元年(724)年に遡るという。
その頃に真言密教徒が室生寺を建立して、神仏習合の姿が整った。しかし明治初年の神仏分離令により、寺に関係するものは取り除かれた。
 今に残す室生寺の客殿・庫裏の礎石は広い面積にわたり、隆盛を極めた往時が偲ばれるとともに、遺跡に刻まれていた里人達の篤い信仰と稲作による豊かな生活による支えがあってのことと考えられる。

時刻 位置(標高m) バロm 記事 備考
8:55-9:10 県立北病院付近 430 付近の空地に駐車
9:20 穂見神社里宮 415 里宮手前に「苗敷山穂見神社案内図」があって、里宮から奥宮までの道のりに数多くの遺跡が表示されていた
里宮に参拝後登山口に向かう
9:35 登山口 神社裏に回って、車道を横切った奥にあるフェンスから登り始める
フェンスに「穂見神社奥宮参道」の看板があった
9:50 分岐点に戻る 460 標高460m付近の二股の道を右手に進んだが行き止まりで引返す
右手の広い道は堰堤工事用だったようだ
引返したあとはスズタケと落葉だまりの細い道を行く
10:05-15 休憩 549 植栽されたヒノキ林が続く
10:30 里宮からの道から林道へ 628 細い道から林道にでた所に「穂見神社」の登山標識が現れた
10:50 石鳥居 670 道横に石造りの大きな鳥居が現れたが、鳥居をくぐって行く参道はなかった
ここから奥之院まで直線距離でおおよそ1000mも離れているので、遥拝場所だったのだろうか?
江戸時代にこれだけの大きな石材をどうやって運び上げて建立したのだろう?
寛文四年(1664)建立
11:50 「廿丁目」刻字石標 871 「逸見駒井村 自上条中割廿丁目 上野・・兵衛」
「逸見駒井村 十九丁目 上野喜左衛門」 と刻字されていた
さらにその先に「御輿掛場 元禄四年」の石標が二つに折れていた
1丁=109.09m 廿丁≒.2km
元禄四=1691年
歌碑・水場 歌碑があったが刻字は西の1字が読めただけ、二十四丁目の石碑があり、辺りはぬかるんでいた
12:25-45 石階段の入口 985 入口に崩れた灯篭があり「奉造立石燈篭一基 元禄四年」の刻字が読めた
ここで昼食
12:55 穂見神社奥ノ院 1020 石階段は3箇所に分かれ、それぞれの間に総門、随神門、三門があったとされ、三門跡の横には室生寺などの大きな礎石が残されていた
奥ノ院の社殿は元文元年(1736)に再建されたとされ見事なたたずまいを見せていた
権現造りで本殿・渡殿・拝殿が一体になっているという
13:10-20 苗敷山山頂 1023 奥ノ院の裏の高みを目指していったら小さな標識に「苗敷山」とあった
旭山へは北側の細い林道を越えて、さらにカヤトに覆われたヤブの中を行く
13:35 カヤバ 背丈ほどのカヤバをヤブ漕ぎで行き、高みに達した所に二等三角点があった(指の感触では三等だったが) 細い林道を越えた所にも「苗敷山」の看板があったが、最初の看板が正しいと思う
13:45 旭山山頂 1037.3m 1046 三角点を確認して、元来た道に戻る
14:10 苗敷山山頂
15:30 石鳥居
15:45 湯船への分岐 641 本宮への道に行かず、湯船地区への道を下降する
16:50 県立北病院付近 430

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