2021年5月9日(日)
脚気石神社から帯名山・奥帯名山を往復
甲府市北部にある帯名山に登った。頂上まで続く舗装道を避けて、脚気石神社経由のコースを選んだ。
しかしここの沢沿いコースもコンクリートの舗装道で、結局登山路を歩いたのはわずかな距離だった。
コンクリートの道は沢沿いに堰堤を造るために昭和後半から平成初めまでの工事に使われたようだが、ここを登山コースにする人が少なくなったためか道は荒れていた。
年月日 | 20121.5.9 |
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天候 | 晴、黄砂舞う |
コース | 脚気石神社-沢沿いコース-石仏-帯名山-奥帯名山 (往復) 2.5万図:甲府北部 |
メンバー | |
行動時間 | 所要時間:5時間15分(休憩含む) 沿面距離:10.9㎞ |
感想、他 | 今回のコースで登山標識を最初に目にしたのは石仏が祀られているところで、脚気石神社からここまでにはなかった。地元では登山コースとして認知していないようだ。 |
時刻 | 位置(標高m) | バロm | 記事 | 備考 |
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5:15 | 北杜市発 | 千代田湖経由で上帯名町奥にある脚気石神社に到着 | ||
6:30-40 | 脚気石(かっけいし)神社 | 848 | 神社手前の駐車場に駐車 脚気石神社は鳥居、神楽殿があったが本殿はなく、石の祠があるだけだった 参拝後神社左横のコンクリート道を行く、すぐに二股があらわれるが右を行く |
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沢沿いの道 | 立派なコンクリート道だが、手入れがなく倒木が道を塞いでいた 右手の沢筋にいくつかの堰堤が現れるので、これを造るための車道だったようだ |
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7:00 | 一回目の林道 | 951 | 頂上まで続くアスファルト道に出合ったが、ここを横切って沢沿いの道を進む このあとにも堰堤があって昭和61年床固工、次に現れた大きめの堰堤には平成2年谷止工とあった |
砂防堰堤に床固工と谷止工があるのを知った |
7:30-40 | ニリンソウ群落 | 1105 | 小さな白花を付けたニリンソウの群落が現れた、ムラサキケマンも混じっている | |
7:50 | 二回目の林道 | 1163 | カーブミラーがあるアスファルト道を横切った後、沢筋から別れて右手へ大きく迂回しながらコンクリート道が急坂を登った、登り切った所でコンクリート道は終了した | |
7:55 | 尾根上 | 1192 | コンクリート道が切れてすぐ尾根上に到着、ここから尾根上の登山道を行く | |
8:05 | 石仏 | 1235 | 二体の石仏の横に積翆寺からの登山道が合流していて、帯名山登山コースの手書きの標識があった ここで初めて帯名山の看板を目にした |
石仏に文久二戌の文字が残っていた |
8:20 | 未舗装林道 | 1305 | 登山道から未舗装道路に出て左へ下降気味に行く、すぐに牧場フェンスがある道と合流した この位置は電波塔の西側に当たる |
未舗装道路合流点に「帯名山登山道 古坊経由積翆寺・甲府」の手書きの看板があった |
8:40 | 帯名山高原牧場ゲート | 休牧中と表示されていた | ||
8:45 | 帯名山山頂への標識 | 林道から山頂への取付き点に看板があり、ここからカヤトに取付く | ||
8:50-9:00 | 帯名山頂上 | 1377 | カヤトの上にコンクリートの建物、木造の休憩舎、ベンチなどがあり、国土交通省が選定したとされる「関東の富士見百景」の看板、それに山梨百名山の木柱があった ここからは富士山もその親衛隊の御坂山系も霞んでいた、どうやら黄砂のせいらしい |
「関東の富士見百景」の看板がもっとも新しい人工物だが大きさや位置に景観上違和感を感じた |
9:15-20 | 奥帯名山 1422.3 | 1423 | 帯名山の奥に少し高い奥帯名山があった、カラマツに囲まれて展望はなかったが静かなたたずまいをみせていた | 二等三角点 |
9:55 | 未舗装林道から登山路へ | 1305 | 牧場フェンス沿いに林道を歩いてきて、そのまま進むと登山路を外すことになるので、ここの入口をしっかり覚えておいた とにかく各種の林道が錯綜しているので、登山路のルートファインディングより難しい |
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10:15-40 | 尾根上の登山道 | 1191 | ヒノキ林の下で昼食、左下にアスファルトの林道が見えている | |
11:20 | 一回目林道 | 950 | 脚気石神社からここまでの沢沿いコースは荒れていたのを思い出し、降りはこのコースを避けてアスファルト林道を歩くことにする | |
11:45 | 脚気石神社 | 834 | 神社の由緒書 抜粋 ヤマトタケルノミコトが東征の折、秩父に向かう途中脚痛になって、甲冑の帯を解き境内の巨岩に休憩し平癒祈願をしたところ足の痛みが消えたことから脚気石と呼び、ここの村名を帯名と名付けられた |