2025年9月30日(火)
赤そばの里と蛇石を訪ねて
所属の写真クラブの撮影会で、長野県箕輪町の「赤ぞばの里」と辰野町にある「蛇石」(じゃいし)を訪ねた。
蛇石では木地師の墓を見ることができた。
| 年月日 | 2025.9.30 |
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| 天候 | 曇り |
| コース | 小淵沢町-(中央自動車道)ー伊那IC-箕輪町赤そばの里ー(国道153号)ー辰野町ー(県道201号)ー蛇石 |
| メンバー | |
| 行動時間 | |
| 感想、他 | 赤そばの里は標高900mの森に囲まれた所にあり、広さは4.2ha。 |
| 時刻 | 位置(標高m) | バロm | 記事 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 8:00 | 小淵沢町 | 中央自動車の伊那ICに降りて箕輪町赤そばの里へ | ||
| 9:05 | 赤そばの里駐車場 | 県外ナンバーの車も見られた おみやげの店と赤そばが食べられる店があった |
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| 9:15 | 赤そば畑 | 900 | 10分ほど歩いて赤そば畑に到着、森を切り開いた緩い傾斜地に、広さ4.2haに広がる赤い畑は、かって見たことのない光景だったので感激した | 赤そばの原産地はネパールヒマラヤで長期に品種改良されたもの |
| 10:25 | 駐車場 | 赤そばの見頃だったのだろう、駐車場はほぼ満車になっていた 一路辰野町横川の蛇石に向かう |
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| 11:10 | 木地師の墓 | 木地師の郷里は江州(滋賀県)で諸国の山中に良材を求め、ロクロを使って椀や盆などの木地を作った渡り職人のことで、この地に定住した木地師は享保の頃10余年間と寛政の頃30余年間とされている 江戸後期に疫病による死者が出て、門前の瑞光寺過去帳に40数名の名が見えるという 後に各地に散在していた墓がこの地に集められた |
60年前に飯豊山山麓で木地師ルーツの弥平四郎と川入集落に世話になった、全戸小椋姓だった | |
| 11:20 | 蛇石 | 930 | 蛇石の説明書きによると、黒色粘板岩(水成岩)の成層面に沿って火成岩の閃緑岩が併入して岩床を形成し、この岩床をペグマタイト質の石英脈が規則正しく百数十条陥入しているものとある | |
| 11:50 | 木地師の墓に戻る | このあと、赤そばは食べられなかったが、十割そばを食べて帰宅 |
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赤そばの里の駐車場に道祖神がまつられていた
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入口に野菜やおみげの店と赤そばが食べられる店があった
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駐車場から10分ほど歩いて赤そば畑に到着、みごとな赤色の畑が目の前に
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赤い花に蝶とミツバチが集まっていた
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赤そばに白そばが混じっていた
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花とともにその茎も赤色で、それを緑色の葉が抱き込んでいる
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ツマグロヒョウモンの牝が吸蜜に訪れていた
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アサギマダラと赤そば色合いが良く、素晴らしい写真になった
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アサギマダラが翅を開いて吸蜜中
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南アルプスを展望できる場だったが、雲に覆われて残念、しかし3000m超えが7山も見えるとは、再訪の価値がある
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辰野町横川ダム上流部にある蛇石付近の地形図
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木地師の度重なる伐採に耐えて、最後に残されたトチノキと木地師の墓
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琵琶湖のほとりから始まった木地師が信州の辰野町の横川に江戸中期以降に活動していたという
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蛇石への看板
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横川川の渓流の中に横たわる大蛇のような岩脈を昔から蛇石と呼んでいたという
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表面が褐色の蛇石は長さ87mほど
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褐色の蛇石の上流部は黒色で、これが粘板岩(水成岩)
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半分水に潜っている大蛇
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白色の横縞が石英で大蛇の鱗模様にも見える
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沢を泳ぐ大蛇











































